小さな日常の物語。晩冬の上越線にて。

「まもなく倉賀野駅倉賀野駅。」

 

無為にスマホを触っていた手がとまった。
別に大した理由もないのだが、「倉賀野」という言葉に少し聞き覚えがあったのだ。

 

戦国オタク仲間のあいつにLINEを入れる。
「倉賀野って確か上州戦国史において名前でてくるよな」

 

さすがあいつ、既読が早い。すぐに返信があった。
山内上杉重臣じゃないかな?
 山内の本拠地は平井だし。」

 

確かにそうだ。

そしてこの何気ない気づきが僕をSNSの世界から引き離し、どうした訳かこの駄文へと駆り立てた。
これは、あいつとの上州戦国ロマンを巡る旅へ向かう道中、上越線の人間模様を描いた暇つぶしの物語。

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籠原から乗ったJR高崎線が終点高崎駅のホームに入った。
岡村と現地集合する予定になっている沼田までは、ここから上越線で1時間弱の列車旅。

 

上越線に乗ると、乗客の様相が一気に変わった。
個性溢れるというべきか。良い意味での田舎らしさというべきか。

 

ガラガラに空いているからなのか、なんの遠慮もなく座席に寝転がるおじいさん。(ホームレスの方かとも思ったが、それにしたら荷物は少ないし、その真相は分からない。ただ、やたら彼を見てしまう自分に気づき車両を移動した。)

 

少し離れた優先座席では観光客らしきおばさん2人組が高崎駅kioskで買ったらしい弁当を広げている。沼田の名物を食べようと、kioskの誘惑を振り払った僕の鼻孔にキノコご飯の匂いを届けてくるのだ。
もぅ、ほら腹がなった。

 

右前には中年も終盤にさしかかっていそうなおじさんが、サングラスをかけ、マジシャンが使うような箱鞄を大事そうに抱えている。
いかつそうでありながら、サングラスを外した時の目がかわいらしい。

 

また、都会を離れると、学生の素朴さが非常に微笑ましいことに気づかされる。

発車を待つ14:02発の上越線水上行きの車窓からは今も、化粧気の全くない元気そうな女子高生が2人、楽しそうに話しているのが見て取れる。

夕日に染まる畦道を部活帰りにわいわい歩く。
そんな平凡な毎日に育まれる恋の行方をヒグラシが見守っている。
そんな田舎での青春に一抹の憧れを抱いていた中高時代をふと思い出した。
何とは言わないけど、あるPVに影響されて、田舎の高校で弓道部に入部、なんて夢を見てたな。

 

それはともかく、誰もが自分なりに時間を使っている。
ある老婦人は上品なブックカバーの小説を片手に、ある男性は深く腰掛けて窓の外をただ眺めて。東京ではこんな自由な光景、めったに目にしない。

こんな車内でMacをカチャカチャ言わせてこんなことを書いている僕も彼らから見たら変人なんだろうな。
東京では決して浮かないこの行為が似合わない、そんな空間が好きだ。

 

高崎問屋町。
歴史の息吹が残る駅名も田舎の楽しみの一つだ。
井伊直政が築き、多くの譜代大名が配された高崎城下の繁栄を支えたのであろうか。
中山道と三国街道が交わる交通の要衝だったことを考えれば、さぞ多くの人足や馬で賑わったに違いない。
そんな往時に思いを馳せながら、イヤホンから流れてくるTayler swiftの軽やかな洋楽とのギャップにくすりとした。

 

と、突然、警笛が立て続けに鳴った。
つられてふと振り返り外を見たら、アルプスだろうか、雪を頭にのせた雄大な山がマンションの向こう側に顔を覗かせ始めている。

 

やっぱり山は好きだ。としみじみ思う。

「渋谷は山が見えへんから疲れる。」
上京したての時、東京のやつに、地元とどう違うか聞かれ自然にこの答えが出てきた。
我ながら核心をついている。

 

代々木公園やら皇居やら、色々見てはみたが、東京の自然が人工的なものであるような気がしてならなかった。
六甲山に抱かれて育った。この経験が僕にそう思わせるらしい。

墓参りも初詣も、家族とのハイキングも、小・中学校の遠足も、そしてスキーですら六甲山だった。だから僕にとって帰省とは六甲山を見ることと言ってもいい。

 

夜行バスで朝6時の梅田に降りたてば、人もまばらな阪急電車にゆられる。そのとき僕は、決まって進行方向向かって左手の席に、洗濯物で膨らんだスーツケースと共に腰掛ける。
西宮北口を越えたあたりから、六甲山が目の前の窓いっぱいに広がることを楽しみにして。

 

あぁ、実家帰りてえ…

そんなことを思っていたら、町を抜けたらしい。

 

地元の信仰を集めているのだろうか、失礼ながら、こんな場所には似つかわしくないくらい立派な社殿を持つ神社が車窓を横切り、1分もしないうちに駅に着いた。
群馬総社。さだめしあの神社の名前だろう。

 

気づけば隣には、これまた素朴な感じの同年代の女子2人組が座っている。
どうも前の駅から乗っていたらしい。
ジーパン生地の上下。バンドで吊っているあたりはおしゃれだが、渋谷を歩けば地方からの修学旅行生みたいに見えてしまうのかな、なんてちょっと東京人ぶっている自分に気づく。
僕自身、人のことを言えた立場ではないのに。

 

それにしても山が美しい。
見事に白化粧し、ほら青空に映えるでしょ、なんて言わんばかりに誇らしげにそびえたっている。
誰かのシャッター音につられて、列車内の数少ない観光客がカメラをまさぐり始めた。

 

左前のおじさんなんて、小学生が車窓の景色をみようとし、母親にたしなめられる時のそれのように、シートの上に両膝立ちで靴底をこちらに向けながらカメラを覗き込んでいる。
写真の出来を確認するときの楽しそうな笑顔が実に無邪気で微笑ましい。
どうやらその雄大さを見事に捉えたらしい。

 

渋川という駅で、例の弁当を食べていたおばさん2人組が降りていった。
駅にある看板によると伊賀保温泉が近いとか。
なるほど、失礼だが、年齢から湯治だろうとは思っていた。

 

ところで、こんなことを暇つぶしに書いていて気づいたことがある。
普通にスマホを触っていたら何気なく過ぎてしまう列車の中の時間。
ふと周りを見わたしてみると本当に面白い気づきに溢れている。
ただの移動時間が、小さいながらも一生の思い出になった喜びは格別だ。

なんとかこれを大学への道中にも実践できないものか、、いや無理だろうな。
また自由気ままな列車旅にでも行こう。次回はスマホは置いてパソコンだけで…

 

「キィーー、ガタン、ガタン」
電車が急カーブを描き、大きな川を越えた。
山が多い地域ではよくあることだ。
山の谷を縫って列車は進んで行く。

 

思い返せば、モンゴル草原を走るシベリア鉄道も蛇行してばかりだった。
無論、草原に山はないのだが、丘は多い。
古馬の群れが朝日の中でその長いたてがみをなびかせ、輝かせながら並走したかと思えば、丘の上から羊たちが部外者を見るかのような目でこちらを見下ろしてくる。
そんな30時間にも及ぶ列車の旅が懐かしい。

 

ふとMacから顔を上げると、あの写真好きのおじさんがおとなしく座っている。
もう雄大な山の姿は車窓になかった。

僕たちは先ほどまで被写体であったあの山の中を走っている。

ちょうど今も、長い長いトンネルを抜け、渓谷の上にかかる鉄橋を列車は進んでいる。

 

トンネルを一つ抜けると一気に雪が深くなった。

岩本という駅を過ぎたらしい。
あと一駅で沼田だ。

 

車内の温度を温かく保つため、駅に着いても全く開くことの無いドアにも、もう慣れた。
先ほどはいかにも東京から出張にやってきたのだろう、きっちり糊のついたワイシャツを着こなしたサラリーマンが、ドアに手をかけ力一杯開けようとしていた。「開」ボタンを押さなければ開くはずもないのに。
優しそうな青年が気まずそうに後ろからそっとボタンを押していた。

 

「まもなく2番線到着、沼田駅です。」
延べ3時間半の列車旅もまもなく終わる。

 

柄にもなく待ち合わせの50分前に着いてしまったが、たまにはあいつを待つのも悪くない。
いつも待たせてばかりだ。

 

さて、沼田名物を食べにでも行くとしようかな。
空腹を通り過ぎ、さして腹も減っていないのだが。

 

自動で開くドアに意表をつかれた。
思いのほか寒くない。

 

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